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マニアな管理人のマニアな独り言 - 過去ログ 2004年 04 月
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268: 余話 (2004.04.29)

  • 後に金ぴかが載っている霊柩車(いわゆる宮型霊柩車)というのは今どき流行らないそうで、ジイちゃんのときもリムジンの霊柩車(いわゆる洋型霊柩車)を使った。 でかいリムジン霊柩車 − 叔父さんのフルスモーク高級車 − 自分の車 − 従兄弟の軽自動車、という風に親戚一同 4 台に分乗し火葬場まで向かったわけだけども、先頭からの並びで傍から見たら “VIP の移動” か “親分一向の移動” かという感じに見えるのか、行き交う車や歩行者が振り返ってこっちを見るから気持ちよかった。 もっとも、この時もまだ自分は代車のワゴンだし、最後尾が軽だったので、主に先頭 2 台がだけど。
  • 自分は火葬場の場所を詳しくは知らなかったので、地図のコピーをもらい、とにかくあとを付いて行く。 遅れないように(なにしろ、はぐれたら行き着けるか自信がない)と叔父の車のあとをついて行くわけだけども、普段は絶対止まるような黄色信号のタイミングでもガシガシぶっこんで行くくらい、もうこっちは必死ですよ。 途中、警察官が交差点に立っていたところもかなり際どくぶっこんで、実際、警察官とも目が合って 「ヤバっ!」 と思ったけど、事情を察してくれたのかそのまま行けた。 こういうのも気持ちよかったりする。 VIP 待遇みたいで。 あと、自分の後ろに付いて来ていた従兄弟(これもあまり道を知らない)は、もう最初のほうの信号で引っ掛かり車列を早くからはぐれてしまい、道に迷ったと携帯に連絡が入り、火葬室に入れられる前の最後の最後の別れに結局は間に合わなかったので、なにやってんだよと思った。 このように車の後からついて行く場合は、間に他車を入れさせないよう、同時に交差点を通過出来るよう、車間距離をかなり詰めて追従していくのがポイント。 あとは 「何人たりとも俺の前は走らせねぇ!」 という意味不明な気迫。
  • 前回補足欄で書いた、見た目がちょっとアレなズバリそのまま言うとヤーさん風味な叔父さんの話をもう一つ。 一時期ジイちゃんを叔父と一緒に病院に連れて行ってたけど、一度時間が間に合わないからと自分の車を叔父が運転すると代わったことがあり、物凄いスピードで坂を下っていくわ青信号と同時にアクセル全開だわ信号は無視するわクラクションを鳴らすわで、助手席に乗ってた自分は車も心配だし生きた心地もしなかった。 病院に着いたときには汗でグッショリでグッタリ。 それに、この人はもうどこに行くのも薄い茶色のスウェットで、街中でも役所への届け出にでさえいつもの格好で平気で行く。 上下黒であるところの喪服姿を見たら、思わずグーの手をヒザに置いて中腰で 「お疲れ様ッス!」 と挨拶してしまうよみんな。 そんな、楽しい叔父さんです。
  • と、散々書いておいてなんだけど、ホントに誤解されても困るので書いておくと、叔父さんはホンモノじゃないので。 見た目はヤクザ普段はカタギ!
  • 葬式翌日からの香典返しやら法要の料理やら、不要品引き取り業者やらからのカタログ送付やハガキや電話が、ついに 30 件を突破した。 連日のようにくるみたい。 あまりよく分からないバアちゃんが電話に出て、料理の説明に来ると日付と時間まで決められてしまい、結局は自分が家に待機することになり 「まだそんなもんは考えとらんから帰れ!」 と追い返した。 この前は、屋根に上がっている太陽熱温水器の点検がどうとかという電話を自分が取った。 まったく、どいつもこいつも一人暮らしの年寄りをダマそうダマそうとするよ。 普段はもちろん玄関も表の門もカギを掛けてるのだけど、一度(まだジイちゃんが生きていて入院してた頃)は裏の塀を乗り越えて 「表が閉まってたもので・・・」 と作業着姿の若い男が入って来たというから驚く。 自分がいるときに会ったら、ぜひ叩きのめしていきたい。 もうボコボコですよ。 フェイザーがあったらマヒじゃなく消滅ですよ。
  • 今回の件で初めて知ったこと、その一: 香典袋にピン札を入れてはダメ。 ピン札の場合は一度折り目を付けて包むようにしないといけないんだって。
  • 今回の件で初めて知ったこと、その二: 49 日の喪明けまでは神棚を拝んではいけない。 バアちゃんの家にも神棚があるわけだけど、神棚前面に白紙を張って(これを “神棚封じ” という)あり、一切触ってはいけないと言われた。 昔から思ってたけど、神棚と仏壇があって両方拝むというのは、やっぱり自分には理解できない世界。
  • 今回の件で初めて知ったこと、その三: 享年は数え年で書く。 これを今の今まで知らず、「確かジイちゃんは今年 6 月で 85 歳のハズなんだけどなぁ、きっとこの 87 という数字は間違いなんだな」と思って聞いたら、そういう訳。 数え年というのは生まれた年を一歳と数え、以後一月一日で一歳年をとるので、基本的には満年齢+1 なわけだけど、これが誕生日前に死んだ場合は満年齢+2 歳になるので、満年齢 85 歳 享年 87 歳となる仕組み。 数え年の詳しくはここら辺りを参考に。 ついでに数え年の計算スクリプト
  • 今回の件で初めて知ったこと、その四: 香典袋の表書きには “御香典” や “御仏(沸)前” やら “御霊前” などがあるのはなんとなく知っていたけど、中には “目覚” と書かれたものがある。 受付の立て札にも “お目覚” (読み方は「おめざ」)というのがあり、もう一度目を覚ますようにという意味なのかなぁ、と漠然と思いながら受け付け作業をやっていた。 それを今思い出したので調べてみたらこのページがヒットした。 これ以外には見付からなかったので、確かな情報なのか不安だけど、これによると我が居住区独特の習わしで、お通夜だけに使い、3 つの意味があるらしく、もう一度目を覚ますようにという願いも含まれているらしい。 へぇ〜。
  • ま、こんなとこかな。 ということで、この一連の話はこれで終り、補足欄ででも今後一切書かないことにして、今までの独り言に戻るつもり。
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267: 悲しみの幻影 (2004.04.16)

ジイちゃんが死んだ。

今年の 2月 26 日までは病院の送り迎えでリハビリに通っていたけど、その後に別な病院へ点滴を打ちにいかないといけなくなった。 手伝いのためにジイちゃんバアちゃんの家に親父と一緒に向かっている車中の中で、それは聞かされた。

「今度は胃にガンが見つかって、余命 3 ヶ月と医者に言われた・・・」

もう何度かジイちゃんのことをここで書いているのであれだけど、2 年前に脳梗塞で倒れて半身に麻痺が残り、若干の痴呆が見られて手を煩わせてくれるけど、それは十分にケアできていた。 ジイちゃんは 「(こんな体になって)残念だ、残念だ」 と何度も何度もこぼしていたけど、そんなことは気にするなとこっちも言ってた。 ところがこの宣告。

宣告は去年 12 月に言われたんだそうだ。 結局ガンであることは本人には知らせず、また、バアちゃんにも言わず。 知っているのはジイちゃんの二人の息子(長男である親父と次男の叔父、そして親父の長男の自分だけ)ということに。

85 歳のジイちゃんと 83 歳のバアちゃんは共に心配症なのもあるし、身内に知らせるとまたいろいろと煩わしくなるのもあり、親父達二人で話し合って結局は 3 人以外には最後まで知らせないことに決め、本当は入院させたほうがいいのだけど、お互い家が近いこともり、3 人が家のほうに交代で泊まり最後まで自宅で面倒を見るということにしたのだ。

最初は点滴(実は抗癌剤)を打ちに週に何回か交代で連れに通っていた。 点滴は何本にも及んで 1 日がかりとなる。 弁当持参で行くのを見て不思議がるバアちゃんを適当にごまかしながら。

ところが、週ごとに目に見えて弱っていくのが分かり、3 月の終わりに体力の限界だったんだろう。 とうとう家で意識不明になり緊張入院させた。

お見舞いに行ったら目を開けていた日もあったけども、それも 1 週間経つとずーっと意識不明状態。 その間も足が痛いと急に歩行が困難になったバアちゃんを、ちょっと無理してでもお見舞いに連れに行っていた。

4 月に入ったところでいよいよあと 2,3 日だということを聞き、それ以後は栄養剤の点滴も外されて代わりに心肺モニターを付けられた状態になり、親父たち兄弟 2 人はベッドの傍らに毎日交代で泊まることに。

そして、いよいよ今日か明日というその日。 交代のために親父を病院まで送り、自分は一旦家に戻ってきてくつろいでいたところ、そう時間を経たずに親父から電話が入った。

「ちょっと出てこい、もうダメみたいだ・・・」

車をすっ飛ばして病院へ駆けつけたけど、すでになにもかもが終わっていた。 静かな病室にジイちゃんと傍らに親父が一人立っていた。

電話が入ったのが 3 時 5 分。 息を引き取ったのが 3 時 8 分。 自分が病室に着いたのが 3 時 20 分過ぎ。 そして、叔父が来たのが 3 時 40 分ごろだった。 残念ながら自分は間に合わなかったけど、最後は眠るように逝ったというからせめてもの慰みだ。

ジイちゃんにとって自分は初孫で、小さいころよく家に遊びにいったりもして、孫 4 人の中で自分が一番かわいがってもらい、いろいろ心配をかけたりもした。 また、大人になってからは年に何回か逢ってたくらいだけど、倒れてからというものはそれこそ毎日のように逢って世話をしていた。

それだけに人一倍悲しい。 覚悟はしていたけど、やっぱりこれが現実となるとかなりのショックだ。 それまではそんなでも無かったけど、出棺の時の最後の別れの時はかなりきつかった。 「男が泣く時は親が死んだ時」 とは言うけれど、この最後の別れのときに親父の涙を生まれて初めて見て、その姿に余計にグッときた。

ジイちゃんの性格は真面目で几帳面で律儀。 一つのことに物凄くこだわるところがあった。 また手先が器用でもあった。 半身マヒになって少し痴呆も入っていたけど、それでも夜中に床に落ちている小さなゴミを拾って回ったり、ジイちゃんの部屋に行くと、机の上や引き出しの中に筆やら鉛筆やら定規やら細々した物が、きちんと平行に並べて置いて整理整頓してあったりもする。 そして、後で気付いたのだけど、マヒであまりかなわない右手なのに遺書と自分が死んだあとの手続きのことを事細かく書いていた紙が出てきた。 自分もそういうところがあるので、ジイちゃんの性格を引き継いだみたい。 苦労人で辛抱人だったというジイちゃんも、最後はリムジンのでっかい霊柩車に乗れて良かっただろう。

葬式もすべてが終わって家に戻り、夜遅くまで親戚と昔話をしていたら、どこからか 1 羽の蝶々が部屋のなかに入って来て、仏壇と位牌の周りを朝までヒラヒラ舞っていた。

たくさん飾ってあった花に惹き付けられただけだと言われれば、それはそうだろう。 そういった系統の話は一切信じないのだけど、ジイちゃんが戻ってきたとこれは考えておこう。 その蝶々、翌朝窓を開けて逃がし、曇り空の中に見えなくなるまで見送った。

仮通夜の日から葬式が終わるまで家に帰れなく、また毎日バアちゃんの話し相手にも行ってるので、忙しくてなかなか時間が取れなかった。 ようやく一段落してこうして書いているのだけど、モニター上の文字が、なぜだかぼやける。

平成 16 年 04 月 10 日 永眠 享年 87 歳

146: マイ・コレクション (2002.06.15)
153: 報告! (2002.07.30)
159: クリンゴン戦士として (2002.09.08)
222: ピカード・マニューバ (2003.06.27)

#1 今回はこの独り言を書くうえでの第 1 級優先事項に反する内容だけど、過去に何度かこのジイちゃんのことを書いていることだし、またそれに関する LCARS アニメも作っているので、この一連の締めくくりとして書きます。 どうかご勘弁を。

#2 初めての葬式への参列で、しかも受け付けというのを従兄弟と二人でやらされた。 同じ苗字だけど会ったこともない親戚がたーくさん来る。 たまに会ってはいてもちょっと苦手だなという人や、逆に 10 年以上ぶりに逢う人でも気軽に話せる人もいたりするから不思議だ。

#3 親父の弟(叔父さん)と二人で病院に連れて行くこともあった。 この叔父というのが体格が良くて坊主頭でもう顔がそれ系の人で、車もなんかフルスモークの高級車に乗っている。 態度も言葉遣いも親父とはまったく逆でデカくて荒い。 自分は慣れてるけど、知らない人が街中で逢ったら目を伏せて早足で通り過ぎられるような風体な人。 そんなでも礼儀正しく思いやりもあり、小さい頃から自分にも優しくしてくれるけど、未だになんの仕事をしているのかが解らない。 葬儀が終わった後に親戚一同で話していたのを聞いていた。 なんでも、車に乗っていて後からクラクションを鳴らされただけでもムカッと来るそうで、昔それで「なんじゃコラッ!」と行ったことがあるという。 さらに最近、洗剤を買おうとレジで順番待ちをしていたら横からオバさんが横入りしてきたので、また 「なんじゃオマエコラッ!!!」 と怒鳴り散らしたそうな。 オバさんはしらーん顔してたとか。 ヤクザや右翼の車を見るとなんかワクワクするし。 これはもう、絶対に間違いないと思う。 あと、ボクサー犬を飼っていてよく散歩に連れてくるけど、なついてくれないので怖い。 連れて来ないで結構です。

#4 葬式代や病院の支払いや戒名代やらお経代やらで 200 万近く掛かり、また様々な役所関係の手続きにあちこち廻ったので、「おちおち死んでもおられん」と親父たち兄弟二人は苦笑い。

#5 葬式の翌日から早速、会席料理やら仏壇やら香典返しの品などのカタログが次から次へと届けられ、不要品の引き取り・処分屋からハガキが来て墓石屋からも電話があった。 葬儀後 3 日間で全部で 19 箇所から。 噂には聞いていたけど、こんな次々に来るもんだとは思わなかった。 連中も商売だからなと親父と二人で苦笑い。

#6 ジイちゃんがまだ杖をついて歩ける頃、お寺に墓参り連れて行っていたので坊さんとは何度も逢っている。 なかなか味のある坊さんだ。 初七日の後の説法で「あなたが信じる宗教の文句で拝めばいいんです。 南無阿弥陀仏でも、南妙法蓮華経でも、アーメンでもいいし」と言われる。 葬式仏教の懐の深さを感じる。 アーメンはまずいんじゃ?と正直思ったけど。

#7 葬式の翌日、その坊さんが銀行から出てきたのを様々な手続きのあとに車で帰っているときに見た、と親父達が言っていた。 昨日上げたウン十万の戒名代を早速預けに行ったのだろうと親父達兄弟は苦笑い。

#8 さらにその坊さん、「お布施のほうをまだ頂いてませんが」 みたいなことを直接は言わずとも、会話の中でそれらしいことを言ったらしい。 それを聞いて 「心臓が太い」 とバアちゃんが苦笑い。

#9 そのバアちゃんだけど、もちろん通夜・葬式と嘆き悲しんではいたけれど、その後はこっちが呆れるくらいよく飯を食っている。 足が痛いと言う以外は基本的に体はどこも悪くない。 アンタはまだまだ大丈夫だよとみんなで大笑い。 やっぱり女のほうが強い!

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266: コンピュータ、本物のチョコレート・サンデーを! (2004.04.10)

女性は 3 度の食事より甘いものが好きだとか、女性にとって欠かせない存在といえば甘いものだとか、そんなことを今テレビでやっていた。 はたしてそれはそうなのか?

日本では甘いものというのは女性のモノだとされていて、子供はともかくとして、だいの大人の男がケーキやチョコレートやアイスクリームなどを好んで大っぴらに食すという行為は、あんまり一般的ではない。

その一方、スイスでは自分で食べるチョコレートを買うために、日本でケーキショップに目を輝かせて並んでいる女性たちのように、だいの大人の男たちが朝もはよから店の行列に並ぶ、というのをテレビで観たことがある。 ウルルンだったか。 スイスでは老若男女チョコレートづけみたいで、チョコレート消費量世界一というのもうなずける。

日本のだいの大人の男でも甘いものは好きで、チョコレートやケーキの専門店に行ってもっと普通に食べたいハズなのだ。 すくなくとも、オッサンが一人でかのような店に行って甘いものを注文して幸せそうな顔して食べている、という姿はみられない。 若い女性だらけなので遠慮してるんだと思う。

日本で甘いものが女性の専売特許みたいになっているのは、これはもうテレビの影響に間違いない。 「男のクセに甘いものなんか食いやがって!」 とか 「そんなもんが好きなんて、お前は女みたいなヤツだな!」 とか言われたりするし。

あと子供のころ親に 「そんな甘いものなんか食わずにメシを食えメシを!」とか、家族で食事に行くと「パフェなんて食うな高いだろが、メシを食えメシを!」 などとメシを食わせようとすると思った。 ま、これは話の論点とは関係ない。

とにかく、これら女うんぬんは女性差別だと言えるけど、“甘いものは女のもの” というイメージを視聴者に刷り込ませている日本のテレビは、逆に “男は甘いものを食ってはいけない” という暗示を男どもにかけて、甘党の日本男児にとってまことに住みにくい世の中にしているのだ。 これは一種の男性差別だと思う。 こういうのはぜひ止めるべきなのである。

と、寝起きに点けたテレビを観ながらこんなどーでもいいことを書いたところで、これから再び寝ていきたい。 あと、自分は甘いものはあんまり好んではとらないので、ホントは別にどーでもいいやと思った。

#1 シリーズ 「無臭代車苦戦」。 天井からドア部まであらゆる所にファブリーズを 2 本分撒き、芳香消臭剤(オレンジの香り)を置き、灰皿に香りのビーズを入れたところで、ついに我々は完全に勝利した! ていうか、もうすぐ 4 週間になるのにまだ修理ができない。 いや、別に怒ってもいないし、それだけ支払いをしなくてもいいし、この代車もタダで借りてるし、10 万キロをゲットできたから別にいいんだけど。

#2 会社の近くにヤクザの組事務所ができて、会社の駐車場(164 台入り)に平気なツラしていーっぱい無断で止めやがるので、出入口にカード式のゲートを設置した。そうしたところ今度は隣のスーパーの立体駐車場に止めるようになったという。 そのスーパーは店舗整理によりつぶれてしまったけど、そのあとに我が居住区初のドンキホーテが出来るというので楽しみにしているのだけど、その駐車場にはゲートを設置するみたい。 近辺の駐車スペースも軒並みポールを立てて、車を止められないようにしはじめたという。 まったく困ったもんだという話。 あと、さっき会社から道路に出るときに全面フルスモークのセルシオが来ていたので、いつもならビュッと出るタイミングのところをそのセルシオをやり過ごしてから出た。 ところがそのセルシオの後ろについたまましばらく同じ道を行くことになり、ミョーに緊張したり、強引に横切った車を見てオイオイとか思ったりする小市民。 結局ソイツは赤信号を無視して突っ切って行った。 車間距離は相当あけたね。

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265: スタトレミン (2004.04.01)

● 効能・効果

社会情勢を織り混ぜた人間ドラマの深いストーリーによる疲れの緩和、未知の世界を探索し新しい生命と文明を求めて勇敢に航海する効果により脱力感を抑え、未来と科学に対する期待と関心などを向上させます。 また、目の充血、かぶれ、ただれ、もたれなどの状態も緩和します。

● 用法・用量

  • 成人(15 歳以上) 1 回 2 話を、1 日 2 回朝夕に服用する。
  • 子ども(7 歳以上 15 歳未満) 1 回 1 話を、1 日 1 回、保護者の指導監督のもと服用させる。
  • 幼児(7 歳未満) 一回一話を、一日一回、かみ砕いて与える。

● 成分(1701mg 中)

  • 楽観的未来・・・ 48mg
  • ヒューマンドラマ・・・ 36mg
  • 科学技術へのあこがれ・・・ 30mg
  • 異星人との交流・・・ 24mg
  • 未知の文明への畏怖・・・ 15mg
  • 英語・・・ 1000mg
  • 論理的思考・・・ 8mg
  • 話合いによる解決・・・ 23mg
  • 艦隊戦・・・ 3mg
  • 同化・・・ 適量
  • ガーグエキス・・・ 微量
  • やっぱり最後は武力・・・ 多量

※ その他添加物として、“マニアックでツボの狭い笑い” と “意味の解らない用語” を含有する。

● 取扱上の注意

  • 現実主義者と悲観主義者の手の届かない所に保管してください。
  • 直射日光をさけ、湿気の少ない涼しいところに保管するか、人目につきやすいところに晒してください。
  • 本品に使用期限はありません。 いつまでも何度でもご使用になれます。
  • 本品の長期の服用により、次のような副作用がみられる場合があります。
    1. テレビ画面に合わせて体が揺れる
    2. 中指と薬指の間が開く
    3. ワープスピードへ換算してしまう

    健康にはなんら問題はありませんが、このような症状が現われて不安な方は、当社製品 “トレッキミン C”, “トレッキビタン D”, “トレッキライザー E”, “トレッカシン NX01” をご用意しております。

  • 本品による症状の改善がみられない場合には、ただちに服用を中止し、医師又は薬剤師に相談して、すみやかに “スターウォーズミン” へ切替えてください。

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※ 本薬は薬局・薬店で、はお買い求めいただけません。 どこ行ってもお買い求め出来やしません。

200: 24 世紀の電子キット本日発売! (2003.04.01)
185: 独占入手! (2003.02.06)

#1 ジイちゃんの件で病院をもう 4 件ほど転々としたけど、玄関口に並べてある貸し出し用車イスでまともなのに一台とてお目にかかったことがない。 置いてあるヤツは例外なくパンク、もしくはタイヤの空気圧が少なくてパコパコしている。 国立病院のでさえ全てパコパコのペコペコだ。 病院内の備品を管理するところは、コレをぜひ直そうとしませんか? 看護士さんも押す時に「重いよ〜」とか気づきませんか? こんなこと、お客商売としてはありえない話。

#2 あと、最近はどの病院にも謝礼は受け取らない旨の提示がしてある。 幸運にも病院にまったく縁がなく、ここ 10 年くらい病院に行ったことがないという人は分からないだろうけど、病院内にはホント、もうどこ行っても貼ってある。 廊下に 1 枚、病室に 1 枚、ナースステーションに 1 枚、入院案内に 1 枚とか。 そこまでしつこいと 「押すなよ!いいか、ぜ・っ・た・い・に押すなよ!」と言ってホントは押せ!という芸人の前フリですか? いや、ホントに要らないみたいだけど・・・。

#3 シリーズ無臭代車苦戦。 修理工場が会社の近くにあるので、ちょっとどうなっているのか昼休みにノゾキに行ってみたら、いっぱい置いてある中にまだ手付かずのまま自分の車があった。 ザ・放置プレイ。 もう 2 週間っすよ。 ていうか、も〜トサカにきた! い〜かよく聞け! おめぇんとこのオンボロ代車、きれいサッパリ消臭してやるからな! ついでに車内のマットも洗ってヒィヒィ言わせたる! 覚悟しとけよコラっ!! てていうか、雨ざらしでなんかサビが浮いとったと思った。

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